ベーブ・ルースとL.L.ビーンの関係を連想させる、100周年記念のトー...

ベーブ・ルースとL.L.ビーンの関係を連想させる、100周年記念のトートバッグ

ベーブ・ルースとL.L.ビーンの関係を連想させる、100周年記念のトートバッグ

製品名は「フェンウェイ・ボート・アンド・トート」。サイズは同ブランドのトートバッグのLサイズに相当すると思われる。日本では抽選で買うことができたが、日本に先駆けて販売されたアメリカでは2分で完売したと聞く。

ベーブ・ルースとL.L.ビーンの関係を連想させる、100周年記念のトートバッグ

ベースボールのダイヤモンドを連想させる特別なロゴ付き。素材はグランドシートを再利用したもので、意外に軽い。

Pen Onlineで連載させていいただいている「大人の名品図鑑」、いま、アップされているのはアメリカのメジャーリーガーの神様、ベーブ・ルース編だ。


「まばゆいばかりの玉座からまっすぐその部屋にはいってきたのは、ほかならぬ神さまだった。ラクダの毛皮のポロコートに平べったいラクダの毛皮の帽子をかぶった神さま、でかいひしゃげた鼻で、眼はブタのように小さく、笑った口のすみに太い真っ黒な葉巻を加えた神さまだった」と『スポーツよさらば』でルースのことをポール・ギャリコは書く。豪放磊落を絵に描いたような人物だったのだろう。どこのテーラー、ブランドのものであるかはっきりしていなかったので連載では取り上げなかったが、ルースは4ボタンのダブルスーツにタブカラーのシャツ、ストライプタイが好みで、当時の上流階級の人々と同じく、英国趣味のスタイルをしていたらしい。そんなルースが、プライベートで楽しんだのが、釣りとハンティングであったことを、連載のリサーチをしていくなかで知った。しかも彼がハンティングで愛用していたのは、あのL.L.ビーンの「ビーンブーツ」。大好きなブランドだ。同ブランドのサイトを覗くと銃を片手にハンティングジャケットに膝下までのロングタイプを履いた写真まで掲載されている。


ルースがヤンキースへ移籍する1920年まで活躍したのはボストン・レッドソックスである。一方、L.L.ビーンの本店があるのはメイン州フリーランド。よく考えてみれば、ボストンとメイン州は比較的近く、「ビーンブーツ」を世に出したL.L.ビーンの創業者レオン・レッドウッド・ビーンは野球好き、しかも熱狂的なレッドソックスファンで、試合を観に行っただけでなく、本店では野球のスコアブック(L.L.ビーンが製作したもの)まで販売していた。さらにレオンは神様、ベーブ・ルースとも直接親交があり、ルースやテッド・ウィリアムズはL.L.ビーンの常連だったという。私も2度ほど本店に行っているが、あの365日、24時間営業のL.L.ビーンの本店に野球の神様たちが通っていたかと思うと、それだけでもワクワクする。


ベーブ・ルースが活躍したボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークは、メジャーリーグ最古の球場として知られる。その100周年記念にL.L.ビーンが製作したトートバッグがこれだ。実はフェンウェイ・パークが設立された1912年はL.L.ビーンが創業した年でもある。このトートバッグは、今から8年前、両者の100周年の年に合わせて、世界限定2,012個、日本では130個限定で販売されたもので、私は応募してたまたま手に入れることができた。

ベーブ・ルースとL.L.ビーンの関係を連想させる、100周年記念のトートバッグ

2012個製作された内の1,211番目のトートバッグ。手書きなのがまた嬉しい。

ベーブ・ルースとL.L.ビーンの関係を連想させる、100周年記念のトートバッグ

トートバッグに付いていた紙タグには球場のグランドにシートかけるスタッフの姿が描かれている。このシートがけが見事で、観客から拍手が起こる。

実はこのトートバッグの素材がフェンウェイパークと深い関係がある。そのころ、試合中断のときに用いる雨除けのグランドカバー用のシートにL.L.ビーンのロゴが描かれていて、2010年から11年の間に実際に使用されていたシートを再利用したものなのだ。もちろん製作はメイン州にあるL.L.ビーンの自社工場で、再利用品だから、1個1個、個体差があって、バッグにはすべてシリアルナンバーまで入っている。私のバッグは、1,211番目に製作されたものだ。一度も使わずに、部屋に飾ってある。


手に入れたときには老舗アウトドアブランドとボストン・レッドソックスのレジェンドの関係を深く知らなかったので、お互いの100周年を祝った単なるコラボレーションと思っていたが、ベーブ・ルースやレッドソックスと老舗アウトドアブランドの創業者の関係を知ると、私にとっては、これは単なる記念のトートバッグを超えた存在に見えてくる。ボストンは何度も訪ねているが、フェンウェイパークに行く機会がなかったことが本当に悔やまれる。